「なんの目的もありません」
暖かい土曜日。今まで降った雪にまさかの雨が降り注ぐことによって、
「これはもうあれ、長靴じゃないとだめなやつでしょ」
と言ってしまうほどのぐちゃぐちゃな道路状況の中で、久しぶりの休日のお仕事。お仕事というよりかは、楽しみながらのイベントだったのですが、なかなかよい1日になったような気がします。そんなこんなで、夕方の更新になります、ぼくです。
さて今日は昨日受けた衝撃を一つ…
今まで書いてきた記事の中でもよくでてくる言葉
「目的」
今まではこれを重要視してきた自分がいました。今でももちろん大事にしていますが、目的を意識しすぎることによって
「目的はなんなの?」と問うことの弊害
があることに気付けていなかったような気がするのです。例えば、意識しすぎることで失敗を恐れたり、周りから怒られることを恐れたり、勇気をもって踏み出せずにいたりということがおこると思うのです。この先、クリエイティブな、何かを生み出していくことに目を向けたとき、
「なんの目的でやるんだ?」
と言われたとき、
「いや、すいません。なんの目的もありません」
と胸を張って言える大人って格好いいなと思う訳です。じゃあなんなのか。それは
「やってみたいから」
「楽しそうだから」
が根本にあるのではないかと思います。これを忘れたらつまらなくなると思っていて…
心の底から楽しめる人間でありたいわけです。
とにかく自分の軸をぶれずにもっていたいのです。ただここで大事なのでは、これを実現させるためには、日頃から用意周到な準備と段取りが必要だということです。
「最低限やることをやってから、やる」
これを忘れてはいけません。与えられた時間は全員同じ。あとは
やるかやらないか。
けん玉教育を進めていきたいなら、、そのくらいの覚悟をもって…。
遊ぼうぜ、ぼく。
2018年2月9日(金)大好きなヤングドーナツ
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