「見栄」から見える心理
人の欲望は他者の欲望である
フランスの心理学者ジャック・ラカンさんの言葉ですが、もう少しすっきりさせると
人は他者の欲望を欲望する
という感じです。この言葉を聞いたとき、ふとけん玉に置き換えてしまうほど、けん玉教育に夢中な…ぼくです。
この言葉は、人によって捉え方も違うと思うのですが、ぼくの中では、
いいなー
あ、これはすてき、かっこいいなー
と思うものがあり、それを持ってたり、それを実解している人を見たりすると、
それがうらやましく思い、自分も欲してしまう
というような感じかなーと思ったのです。けん玉に置き換えるとまさに、これと重なることがあります。
子どもたちと一緒にけん玉をする中で、かなり高い確率でこんなことが…
「おれ、昨日○○できたよ」
「自分のけん玉ならできるんだけどな…」
など、本当にできているのか、できていないのに見栄を張っているのか、本当のところは分かりません。しかし、少なくてもつい見栄を張ってしまう瞬間もあると思うのです。それを否定したいのではなく、
見栄を張ってしまう心理にこそ、けん玉のよさがあるのでは
と考えました。見栄を張ってしまうということは「負けたくない」「悔しい」という気持ちがあるからだと思います。最近、そういう競争できるものが少なくなっているのを感じているので、ある意味いいことだと思うのです。
もちろん、大前提に「嘘はついてほしくない」し「できないことはできない」と言える強さをもってほしいのですが、今まで言ってきたことを踏まえると、
「本当か?確かめるからやってみせてよ。」
「嘘つくなよー?」
と一方的に否定するのは違うと思います。
事実を見ることも大事ですが、事実の先を読む力
が指導者には求められるのではないか…欲求の話からそんなことを思ったのでした。今日は久しぶりに研修会へ。謙虚な姿勢で学んできます。
2017年6月22日(木)自家製パクチーでタイを感じる
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