楽しむ権利
最近、少し帰りが遅くなってしまい、なかなか時間がないのですが、けん玉の練習アプリを使って、必ず30分は練習をしています。最近は
二回転灯台
月面トンボ返り
銀河系一周
極意シリーズ
等を練習しているぼくです。やはりやればうまくなる。できない技ができるようになる喜びは、本当に最高です。
さて今日は楽しむ権利についての話です。
最近始まったけん玉クラブは、想像していたよりもたくさんの人が集まり楽しくやっています。
けん玉をやる場所がうまれ、人が集まる。
たったそれだけのことなのに、
こんなにも楽しいのか
と思う日々です。やはりやってみなければわからないことは多いんだなと思います。これから、このけん玉クラブはどこに向かうのか・・・そんなことまで考えていませんでしたが、回を重ねるごとにけん玉の雰囲気が少しずつ良くなってきています。その要因を考えると、
本気の大人がいる
ことかなと思うのです。どちらかというと、このようなクラブの主の目的は、子どもたちが楽しんでいることを優先するようなものが多いイメージです。でもけん玉クラブは大人も子どもも関係なく、
とにかくみんなでけん玉をやる
だけなのです。最初は、大人も遠慮して、子どもたちに
「見てー」
と言われたら、「どれどれ・・・」と見てあげるような姿も多かったのですが、ここ数回で
「見てー」
「いやいや、わたし(大人)にもやらせてよ」
という状況が増えてきました。ここが非常に大切で、
けん玉には子どもも大人も関係ない
ここがぼくがけん玉教育をやっていくうえで非常に大切にしたい価値観です。大人は遠慮するのが普通のようになっていますが、そんなことなくて、
大人も子ども同じように楽しむ権利を持っている
ものだと思います。そんなことを、こうやってブログの記事ではなく、このけん玉クラブの活動を通して、伝えていきたいと思うぼくなのでした。
2018年6月23日(土)我が家の畑は元気です
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