誰のためなのか?
けん玉は誰のためにやっているのか?
この問いは、ぼく自身とても大切にしている問いなのですが、みなさんも同じように大切にしていることに対して、意味を考えたことはあるでしょうか?この問いは、
追究する上でとても大切なことなのではないかと思います。
ぼくです。
ぼくはけん玉が好きでやっている
ここはぶれないと思います。それ以外にもたくさんの理由があるのですが、けん玉があれば心が落ち着くし、けん玉を通してたくさんの人と出会ったし、
けん玉に救われたところはたくさんある
という背景があるので、その体験をより多くの人に伝えたいと思っているのが根本にあります。その根本を大事にしているからこそ、いろいろな場所で話をする機会やけん玉をさせていただく機会が多くなってきたことが非常に嬉しいのです。
子どもたちや子どもと関わっている大人と接しているときにいつも思うのは、
「これはだれのためにやっているのかな?」
ということです。子どもを例にあげると、けん玉をやっている子が
「ねー、見て!」
と技を見せてくることがあります。それはとても嬉しいのですが、たまーに
ぼくがいるときだけ、やっているのかな?
と思うことがあるのです。この子は、自分のためではなくて、もしかすると
僕に見せるためにやっているのかもしれない
という可能性もあるわけです。それはそれで悪いことではないのですが、本当にその子は楽しんでいるのかは、わからないのです。
しかし、その裏には
ぼくに見せるために精一杯どこかで努力している
のも事実です。いろいろな背景を考えながら関わることで、その子の本質も見えてくると思います。
子どもの場合は、別に誰のためでもいいと思っているし、目的がはっきりなくたっていいはずなんですが、子どもと関わる大人にとっては、
堅苦しく考えることよりも、その瞬間の楽しさを楽しめているか
は大事な気がします。もっと気楽に遊べる場を目指したいぼくなのでした。今日は何が言いたいかわからなくなってしまった・・・。また次回に。
2018年4月21日(土)おいしいソフトクリームに感動
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