遊びといたずら
最近すごく心に響いた文章がありました。ざっくりとまとめると
「子どもたちの遊びといたずらを大人が勝手に判断していないか?」
というような感じです。子どもは遊んでいる様で、いたずらしているようで、学んでいるはずなのです。
その学びを大人が勝手に
「こら、それはいたずらだな、また悪いことして」
「いたずらしていて怪我をしたんです」
などと、なんか勝手な解釈をしていないだろうか?
というような感じでした。うまく説明できないけど、なるほどなぁーと思った
ぼくです。
けん玉をやっていても時々気づくことがあります。
使い方が違うから、注意する
ぶんぶん振り回して危ないから渡さない
というようなときもあるのです。でも、そんな時って、
きっと子どもも学んでいるはずです。
玉の重み
けんのかたさ
剣先の尖り具合
いろいろな経験を通して学んでいるのです。
じゃあ、大人はなにをすればいいのか。
なにかあってもしゃあない
という踏ん切りをもち、そのなにかが命を落とす危険につながるかどうかで判断するくらいの
ゆとりをもつことが大事なのです。
けん玉は命の危機まではいかないですが、致命傷を負うことは確かに想定されます。
悪化しないことを考えて接してみると、
確かに死ぬこと以外かすり傷なのです。
何が言いたいかというと
子どもの世界に理解ある大人になりたい
最近はまとまわないぼくでした。

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