「できそう」がいい
謎の体調不良に苦しんでいるここ数日。久しぶりに苦しい…今までは、どんどんどんどん落ちていった気分も最近は上手にコントロールできるようになってきたなと思います。そんなとき、大事にしている言葉は
普通が一番
人の先頭に立って、一生懸命やってきたつもりでしたが、それはどこかで無理をしていたのかなと数年前に体を壊して感じました。
そんな自分が悲しかった
のです。無理して盛り上げてきたつもりはないけど、体は悲鳴を上げている。そんな状態で言われた言葉こそ、
普通が一番
今までのぼくなら、「普通はつまらない」と一蹴していたと思いますが、そのときは心に染み渡りました。簡単なようで難しい。それが
普通が一番
だと思います。普通は悪いことじゃない。そんなことを考えているぼくです。
さて、今日はけん玉に取り憑かれていく人たちに共通することについて書こうと思います。それは、
「いやーできそう」
という感覚なのです。けん玉をやれば、「そんなんできないよ」から始まって、「いやー難しい」になり、コツがわかれば「あれ?なんかできそう」になり、「できたー」となります。
大事なのは、「できたー」ではなく、
「できそう」をいかに大切にできるか
なのです。これは意外に遊びにおいては持続させるのが難しいと思います。「できそうでできない」ものってなんかたくさんあるような気がします。そこで次に大事になってくるのは、
チャレンジしやすいものかどうか
が大事なのです。「できそう」と思っても、一回のチャレンジに5分かかるとなると苦しい。けん玉よりもコマにはまりやすいのは、そこだと思います。コマのひもを巻くという作業は意外に面倒で、コマよりもけん玉のほうがチャレンジしやすいところにしょうゆがある…味噌があります。
こうやって考えていくと、けん玉教育で大事にしたいのは
「できそう」はいい
という発想を伝えることだと思います。「できたー」がいいよりも
「できそう」がいい
これを今、けん玉を通して伝えていきたいなと思うぼくなのでした。明日はけん玉仲間と会える日・・・楽しみです。
2018年6月29日(金)こんなおしゃれな飲み物を飲むこともたまーに
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