「みんなのもの」という考え方
リフレッシュは大事
それを学んだのは自分が体を壊してからでしたが、もっと早く気づいていればどんな人生になっていたのかなーとたまに考えてしまいます。やはり、なんでもかんでも全力でやることも素晴らしいのですが、
ゆったりのんびり、時の流れに身を任せること
も必要なのではないかと、年を重ねるうちにその思いが強くなるぼくなのです。
さて今日は、ちょっとした考え方、見方についてです。けん玉教育を進める上で非常に悩むのが、管理方法です。どうしても整理整頓できないと、
ひもが絡まることが多いです。
どうすればいいのかなーと考えている時こんな会話が・・・。
「いやーこれおれのなのに」
「みんなのものなのに、使わせてもらえない」
なんてことがあります。その子の言っている意味はわかるし、「そんなもん、みんなで交代でやればいいじゃん」と遠巻きに見ている大人は思うのですが、ふと思ったのです。
「みんなのもの」は「みんなのもの」だからみんな使っていい
裏を返せば
「みんなのもの」は「だれのものでもない」からそのおもちゃに責任を持てない
「みんなのけん玉」という管理をしている場所では、整理整頓が煩雑になっていることが多いような気がします。本来であれば、「みんな使うんだから、ちゃんと整理整頓しなさい」と声をかけるはずなのですが、落ち着いて考えると、
子どもの気持ちもよくわかる
ということに気がついたのです。「みんなのものだから整理整頓しなさい」はもしかすると、
大人の押し付け
なのかなーなんて。きっと考えすぎなんだろうけど、一つ一つの課題をクリアしていくときには、このくらい掘り下げていくことが大事なんだろうな。けん玉の整理整頓一つとっても、子どもたちの心理を読むことが求められる。
遊びは学び
の境地にいくためには、こんなことを考えることなのかもしれないと思ったぼくなのでした。
2018年3月31日(土)おいしいホルモンに出会った
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