じらすこと
蒸し暑いのが特に嫌いで、べたべたになっているときは、水の中に飛び込みたくなる症候群…ぼくです。ようやく暖かいを通り越して、暑い日々です。北海道でもなかなか無い暑さのようで、少し夏バテ気味です。
さて今日は、「じらすこと」についてですが、きっとみなさんもいろいろな場面で「じらし」の手法を使っているはずです。けん玉教育の世界でもこの「じらし」は必要だと思います。分かりやすくいうと、
知っているのに教えない
気付いているけど知らんぷり
そんな感じです。この行為に何の意味があるのかは、人それぞれだと思いますが、「けん玉教育」の中では、
自分自身で模索する
という過程にこそ、成長があり、意味があるのだと思っています。やはり何事も自分自身と向き合うことが大事です。最近、子どもたちと関わる時間があまりなく、今日久しぶりに顔を出すと、
「検定やります!」
「久しぶり!何でこなかったの?」
と言ってくれるけん玉会社(子どもたちが勝手に作った会社)の社員がいて嬉しく思ったのと同時に、今日のテーマである「じらすこと」の意味を感じたのでした。
ときどき、距離を置くことも時として教育的なのではないか
と思ったのです。これは決して
放っておく
ということではありません。
何事も子どもたちの成長を考えた行為ならチャレンジする価値がある
と思うわけです。社会的に見て、常識的に見て、おかしいことでも、やってみなくては分からないことは世の中に五万とあると思います。
そこをしかけられるかどうか
…自分自身の情熱と学びを惜しまない意思を忘れず…
2017年7月6日(木)白老でごちそうになったソフトクリーム
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