クリティカルシンキング
今まであまり雪が降らなかったので「あ、この地域は雪降らないんだな」なんて油断してたら、なまら降って「そう、北海道はこんな感じだった」と改めて感じた今週も今日で一段落。少し余裕がなかったなーなんて振り返る金曜の夜は、やはりのんびりと過ごすぼくなのです。
さて、今日はクリティカルシンキングについてです。
この言葉に出会ったとき、けん玉に置き換えて考えると共通するところもあるかなと思ったのです。クリティカルシンキングとは、
批判的思考
というように紹介されます。これは、物事を批判的にというか、鵜呑みにせず
「なんでこうなっているのか」
と分析していく考えのことです。この考え方を実践するときに大事な3つの姿勢があり、
1 目的は何かを明確にする
2 自分や他人には思考に癖があることを理解する
3 問い続ける
という3つなのです。これをけん玉で考えるとけん玉の技術向上においては、とても大切なところだと思うのです。
けん玉教育には、クリティカルシンキングが必要だと思ったということです。
例えば、目的がないのにけん玉をやっていても上達はしないのです。やはり目的や動機は自分で見いだすものだと思います。
自分が得意な技、他の人が得意な技があって当然です。それを理解していれば、「あいつはできていないのに、おれはできる」なんて驕った態度になることはありません。
「なぜできないのか」を問い続けることによって、常に前進する遊びです。同時に「なぜできるようになったのか」を問い続けることも大きな学びになります。
これら3つの基本姿勢は人生に置いても同じだと思うのです。つまり、
けん玉教育=人生
なのだと思います。クリティカルシンキングを行うことで、
自分の考えを整理し、学びにつなげていく
ことができるのだと思います。そんなうまくいかないかもしれませんが…
生きている中で、どうしても曲げられないこともあります。頑固だろうが、なんだろうが、まげらないものがあるはずなんです。
ただの頑固ではなく、どうしても曲げられない信念を貫く強さがなければなりません。それをもつためにも、自分自身学び続けることが必要なのだと思う今日この頃。最近、ついこだわりがある部分の議論になれば、感情的になってしまう自分を反省しつつも、
感情的になるほど本気なんだ!
というメッセージも伝えたいし、日々葛藤を抱えて生きているような気がします。そんなときは、ぼくが大好きな歌手の歌を思い出して…
薬付けでも生きろ どうせ人間だれもが何らか付けで生きてるんだ 大差ねぇよ
何かを抱えて生きることこそ人生だと勇気をもらえる歌詞。さて、よい休日に…
2018年1月4日(木)無事に陸路でカンボジアへ、癒しのビール
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