停滞期

またしても大雪でしたが、朝からしっかりと雪かきをしたぼくです。現在部屋の中で流れているのは、昔屋台でさんざん聞いたタイポップ懐かしさと寂しさと心強さが湧いてくる…そう、篠原涼子です。

さて、今日は停滞期についてです。受験勉強をしているとき、すごく勉強しているのにまったく成績が伸びない時期がありました。それは、「一気にたくさんの知識が入りすぎて、どこでどんな知識を使えばいいのかが混乱している」ということらしいのですが、果たして一体全体どうなのかは分かりません。

勉強以外にもいろいろなところで停滞期はあります。ぼくの例でいうと、ギターの練習ではFコードができなくて1ヶ月以上悩みましたが、ある日久しぶりに触ると音がでたのです。ランニングもどうしても3キロ以上になるとへばってしまいますが、2週間もやれば5キロはいけるようになりました…ただ、今は走っていません。だめですねこれは。けん玉でも飛行機の壁、灯台の壁、うぐいすの壁など様々な壁にぶちあたりながらも今があります。まぁあきらめたものもあるし、続いているものもありますが、

停滞することも時には必要なのかもしれない

と思ったのです。停滞することが具体的になぜ必要なのかはわかりません。ただ、順風満帆にすべてがうまくいくのももちろんすばらしいですが、一方で「停滞することが悪い」訳ではないというのは間違いないと思うのです。うまくいかないという葛藤の中で、様々なことを考えたり、仲間へ救いを求めたり自問自答したりという時間も時には必要だと思います。

けん玉は練習すればするほどうまくなりますが、間違いなく「できない技」にぶちたります。その壁をどのように越えていくのか、というのは自分自身との戦いです。自分を高めていく、けん玉のを極めていく。このように考えると、けん玉も剣道、茶道、華道などの

けん玉道

として考えてもいいのではないか、なんてことを考えたのです。いずれけん玉もけん玉道として普及したらすてきだな。

2017年1月19日(木)いつも心に第2のふるさとタイを思って

Posted by megane