創造的な欠如という考え方
どうも2連休を満喫しようとしていますが、頭の中にいろいろなことが思い浮かんでしまうぼくです。そんなこんなで、今日もまた少し難しいような話になってしまうなー。この間まで、
久しぶりにけん玉の技について書こうかな
なんて言っていたのに、考えてしまうのはついつい難しいことに・・・そんなぼくです。
さて、今日タイトルにしたのは
創造的な欠如
という言葉です。欠如というのはマイナスな言葉のように感じますが、実は
目的をもった欠如によって自発性を促すこともあるのではないか
という考えですね。英語でいうところの
less is more
に近い感覚かもしれません。なんでもお金を払えば手に入る時代になり、身の回りにはたくさん便利なものが溢れる時代です。そのときに、「これがあったらいいなー」というものはあっても、「何かが足りない」という状況に陥るのはあまりないかもしれません。
今遊びの中でも必要なのは、
「何かが足りない」という経験
なのかなと思うわけなのです。ものが溢れているから「ものに頼った遊び」しかできない。そんな子どもたちが増えています。そのとき、
与えることからの脱却
を大人が本気で考えるべきだと思います。自発的な遊びを促すためには、プラスのイメージをもった「欠如」という選択をする。それこそが
創造的な欠如
ということです。この言葉は、「黒板とワイン」という本の中に出てきた言葉で(ぜひ読んで見てください)、非常に感銘を受けました。ぜひ、けん玉教育でも
創造的な欠如
を目指していきたいと思います。次回は、「箱ではなく場を」というテーマで論じます。ぼくでした。
2018年3月24日(土)素晴らしい本でした
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