半ば強制の遊び
半ば強制のボランティアは人間を下品にするだけだと思う
最近読んだ「ゼフィルスの卵」(池田清彦さん)の中の文に非常に感銘を受けた。この本は、以前紹介した尊敬する方から教えてもらったのだが、なかなか鋭い本だった。この本を読んで思ったのが今日のタイトル
半ば強制の遊びは、子どもをダメにするのではないか?
と思ったぼくです。
けん玉をやっていると、ほとんどの子は自主的に始めます。そんなけん玉がすごく好きなのです。そこには、
いつでもやめれるし、いつまでも続けられるし・・・
という安心感がある遊びなのではないかと思ったのです。
他の遊びにももちろんありますが、ごくたまーに、
「これを全員でやろう」
ということがあります。それはそれで、重要な時間だとは思います。しかし、そればかりになると、それはもう
遊びではなく仕事
になってしまっていないかと思うのです。何かを提供するということは、もちろん参加者全員を楽しませることが第一目標になることが多いです。これはぼくもわかります。でも、中には
「本当にやりたくないのに雰囲気に合わせてやっている子も間違いなくいる」
ということです。指導者として前に立つ場合にその認識があるかないかは非常に重要なポイントだと思います。けん玉をやる上で、もしかすると一番大切にしていること、
好きにやろうよ、でも自分で決めた目標は投げ出すな
という無言のメッセージを子どもたちに伝えていきたいと思っていて・・・あくまでもけん玉遊びで大事なのは、
自分が楽しんでいるか
自分と向き合っているか
なのです。もしかすると、これはすべての遊びに共通して言えることなのかなと思ってます。もちろん遊びだけではなく仕事も・・・
そんな時間をみんなと一緒に作っていけたらいいなと思う日曜日の朝。今日も楽しい1日にします。
2018年3月1日(木)新しいあだ名はけん玉ボーイ
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