子どもの世界観
今日は夕方から雨が降り、気分が上がらないかと思いきや、
「野菜たちにとっては恵みの雨だな」
と畑を作り始めてから、雨に感謝の心をもてるようになってきたぼくです。
さて今日は、子どもの世界観についてです。子どもたちと時間を過ごしている中で、
これは介入していいのか、しないほうがいいのか
と、悩むことがあります。それは、
言葉
行動
表情
感情
と様々ですが、これは一つのサインなのかもしれないのです。サインに気付いた瞬間にひろうべきなのか、気付いているよ…というオーラを出すだけでいいのか、もしくは気付いたけど知らんぷりするのか…なかなか難しいです。
けん玉に例えて考えてみると、一緒に遊んでいる中で…
「よっしゃ、できたー」と言った子どもに対して、悔しさからなのか…
「え?嘘でしょ…」とぼそっとつぶやく子ども。
「あーできないわこれ!」と諦めた子どもに対して、
「おい!諦めんなよ!」と強めの口調で言う子ども。
上達した子どもに対して、
「いやー、すごいうまいなー」と言う子ども。
どれもまったく違う場面ですが、けん玉を通しての会話です。この会話に大人が介入することは簡単なのですが、そこで、
子どもたちの世界観を大人の都合だけで壊してはいけない
と思うのです。時には、言葉遣いが悪くなったり、人が傷つくようなことをしてしまったりもあります。その瞬間、「そういうのはやめなさい!」と言うのは簡単です。しかし、そこで、
そっと見守るのか?
「その言葉とか行動は、おれは嫌いだな」と自分の思いを伝えるのか?
「それってどうなの?」と考えさせるのか?
様々な選択肢があると思うのです。その選択肢の幅をたくさんもつことができれば、子どもたちが自ら考え、遊び、学ぶことができるのではないかと考えたのです。そして、
けん玉にはそれを考えさせられるような人間模様がたくさん見られる
と思います。機械的な人間ではなく、素直だからこそ泥臭く、時として残酷で、人間らしい子どもの世界を大切にしていきたいです。今日は、文章がうまくまとまらず…とにかく、
子どもたちの世界をうまく広げていきたい…ぼくです。
2017年7月3日(月)ハスカップは体にいいです。
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