情熱
「どんな場合でも、最後に頼りになるのは情熱だ」
ぼくが社会人1年目で教員をしていたとき、タイの屋台でこう言ってくれた先生がいました。その方とは、今でもときどきハガキを交換するほど、親しくさせてもらっています。どんなに失敗をしても、どんなに授業が下手でも、最後にこころを動かすのは「情熱」なのだと感じる今日この頃、ぼくです。いやーずっと言いたかったのでもう一度…ぼくです。
ついに昨日インターネットが開通し、こうしてブログを更新できている訳ですが、最近はいろいろなことがあって、もうなにを書こうか迷っています。なので、一番最近の話を書こうと思います。
新天地でけん玉教育を初めて1ヶ月。嬉しいできことがたくさんあったのです。
・子どもたちから「けん玉がたりなーい」という声が聞こえる
・保護者がけん玉検定を受けてくれた(6級合格)
・けん玉ショーをやって、たんぽぽをもらった
・職場の机の上にはけん玉が置かれている
・夢中になって「早く帰るよ」と怒られている子どもがいた
・外国で終始、けん玉をやる外国人がいた
などなど。まだまだ書ききれませんが、ぼくにとっては、どれも本当に嬉しいできごとです。しかしここで、大切なのは…
「ぼくってすごいでしょ?」
ということではありません。そこをはき違えると、大きなミスを犯すことになります。ぼくが目指すけん玉教育の根本には、
「手段」としてのけん玉
なのです。けん玉を通して、なにを伝えたいのか、どうなってほしいのか。そこが一番の醤油、いやみそなのです。
この1ヶ月、毎日スーツを着た状態でけん玉を首にさげて歩き回り、
けん玉が好きだという情熱
は伝えてきたつもりです。そこで、その情熱に乗っかった方々の主体的な取り組みを評価できるようになれたらと思います。
まだまだ始まったばかりですが、やれることをやれる範囲で精一杯やろうと思います。ちなみに、5月の連休、非常に楽しかったです。
2017年5月1日(月)タイ航空でまったりと
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