手放す瞬間
人生を振り返ってみると、
とことん人に恵まれているな
と思う瞬間があります。そう思えるようになったのは、ぼく自身少しずつ成長できている証拠なのだと思いますが、それにしてもとにかくたくさんすてきな仲間が周りにできたなと思います。そんな仲間がいる限り、自分を見失わずに済みそうだな。
ぶれない信念をもって日々生活したい
そんな思いは常にもっているぼくです。
今日は自分の欲求を手放すことの重要性についてです。
自分が得意としていること、大好きなこと、ゆずれないことなどは、なかなか手放すことが難しいと思います。それが「もの」の場合は、特にですよね。
けん玉教育においては、
いつ、どの瞬間で「なぁ、けん玉やろうぜ?」と声かけをしないべきなのか
常に迷う訳なのです。そもそも
「なぁ、けん玉やろうぜ?」も必要ないはず
なのです。本来であれば、
子どもたちが「やりたい」と選択した遊び
を行うことがベストだと思いますが、まだまだ未熟なぼくは、自分が楽しくけん玉を立っている姿を見せることしかできていないように感じます。もちろん、それこそがとても効果的なのは分かりますが、それでも食いついてこない子どもたちには、
『実際に手に持ち、やってみてほしい』
という欲求がうまれてしまうのです。その欲求をもったときに、どうしてもおこがましく声をかけている自分がいるなと思うのです。これは毎回反省です。
けん玉教育における手放す瞬間
別の言い方をすれば
けん玉が自分の手を離れて、その子の遊びになる瞬間
を見極めること。そして、その瞬間を作り出せること。それを日々考えていくことが、けん玉教育には大切なのです。つまりは、
けん玉の面白さを一方的に伝える
のではなく、
けん玉に遊びこめる、没頭できる環境整備
をすることが大事なのかなと思う訳なのです。それができるためになにができるか…日々試行錯誤しながら進んでいこう。
2018年1月2日(火)大好きなサバイジャイ・ガイヤーン
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