持続可能なものこそ
この2、3日、なぜか分かりませんが、相当な寒さを見せつけてきていますが、なんとか水泳教室を行い、元気もりもり、そう…ぼくです。毎日の生活の中で、「ありがたいなー」と思う場面がたくさん出てくるようになりました。人に助けられていることを実感できる毎日です。
さて、今日のテーマは持続可能。
最近では環境問題に合わせて、サスティナブルなんて言葉も使われ始めたので、以前よりは聞き馴染みがある言葉だと思います。
今から3年ほど前にオーストラリアで、ひたすら自然の中に身を置き、持続可能な農業をデザインするパーマカルチャーについて知り、学ばせてもらっていたころから、
教育も持続可能なものこそ意味があるのではないか
と考えるようになりました。イベントや行事など一過性のものではなく、あくまでも日常的に持続可能な体験こそが大切なのだと思います。
けん玉を例にあげたときに、「いきなり新しいメガネのけん玉おじさんが来たからやってみた」というのは、あくまでも
きっかけ
でしかなく、それだけでは「けん玉教育」ではないような気がします。ぼくが新しい環境でけん玉を始めて4ヶ月が経過しましたが、少しずつ
持続可能なけん玉
の土台はできてきたと思います。そうすることで初めて、
主体的なけん玉
以前の言葉を使えば、子どもたちが自分なりにけん玉を
生産的な日常
へ位置づけていくのだと思います。一過性の一発屋ではなく、長い目で、長いスパンで教育を評価できる心の器と焦らない気持ちが大切だと思った。金曜日の朝。
ぼくです。
2017年7月28日(金)お祭りで食べた粋なアメリカンドック
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