片隅にある心地よさ
部屋の掃除をしているとふと、
「最後にこんなに大変なら、毎日少しでも掃除をしていれば…」
と思う瞬間があります。それができれば、何事も簡単なんですが、なかなかできない。毎日続けることの難しさを、引っ越しから改めて学んだぼくです。
さて今日は、ちょっとした思い出を…
今年に入ってから、知り合いに誘われて始めたビーチボールを使ったミニバレー(ビーチ競技)。これがまたおもしろい。活動をしているのは、小さな子どもをもつ保護者の方々でしたが、「だれでも、手軽に」できる感覚はけん玉と似ているのです。やはり、スポーツ一つとっても、対象や目的に合わせてルールを工夫することで
ぐっと、おもしろさが増す
ものもあると思います。それと同時に現在のスポーツのルールはもちろん、
おもしろくなるように考えられている
ことにも気付きます。しかし今日は、そのビーチ競技をやっている体育館の横で、子どもが作っていた
けん玉積み木のよさ(載せている写真)
について言いたいのです。ぼくはどちらかというと、
目立つのが好き
なタイプのような気がします。気持ちが弱いのにも関わらず、どんどん前に出て行くような人間なのです。だからこそ、ときどき気付かないことがあります。それこそが、
片隅にある心地よさ
です。
目立たなくても素敵なもの。
目立つべきではない瞬間。
主張しなくてもそこで輝いているもの。
もちろん、本当は目立ちたいけど、「お、これはすごい」と声をかけてもらいたいというものもあると思います。
指導者として前に立つ以上は、なるべく広い価値観で評価軸をもつべきだと思っているので、この感覚を失ってはいけないと思うのです。そう考えると、まだまだ自分の力不足を感じます。
「けん玉」以外の場面でも、
スポットライトがあたっていないものをどのように受け止め、どのように評価するのか。そして、
それを尊重した形で最大限の魅力を伝える。
その意識を忘れず、日々取り組んでいこうと思います。
今日で部屋を出ます。インターネット環境が整うまで時間がかかりそうなので、次回の更新はいつできるか…お楽しみに。
2017年3月28日(火)体育館の片隅のけん玉積み木
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