考えること
世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるなーと感じる今日この頃。昨年の4月から続けていることに「1日1学びノート」というのがあります。無印良品さんで売られている「単行本ノート」(税込210円)のノートがあるのですが、それに
1日1ページ、興味があることを書き留める
というノートです。始めてみると、まだまだ知らないことを痛感するのです。なおかつ、まだまだだれにも分からない不思議なことやものもあるのです。そう、可能性に満ちあふれた世界なのです。そこから、白か黒かはっきりできるものではなく、
グレーゾーンを楽しむ
ことこそ、学びの始まりなのでは感じている…ぼくなのです。
さて、今日は「考えること」についてです。けん玉は、頭で考えていることと体の動きを統合しなければできないものです。頭を使わずにやっていても、ほぼ上達しません。玉の位置を自分に向けるためには?まっすぐ玉をあげるためには?などなど…もちろん、けん玉以外のものもそうだと思いますが、何事も
考えながらやること
が大切なのだと思うのです。それは、考えることで自分なりの気付きや発見があるからです。ただ、ここで問題が生まれます。では、考えてやることが大切なことを分かっているのに、
なぜ考えないのか。
ということなのです。考えてやっていない人に対して、「考えてやりなよ!」という言う指導をするのは簡単ですが、これは非常に無責任な気がします。例えるなら、興味が無いけん玉をひたすらやらされている子に対しての「もっとやる気出そう」や技ができない子に対しての「集中すればできる」という感じです。ぼく自身も無意識にこんな指導をしていることがあるかもしれません…反省するべきところです。
やはり「考えてやれるよう」に声をかけることがプロの指導者として大切なのだとです。この観点をけん玉教育を取り入れていくために「どうすればいいか」を、今日も考えているぼくなのです。
「私は常に学んでいる。墓石が私の卒業証書だ」アーサ・キット
2017年2月19日(日)すてきな人が、すてきな思いをもって、すてきなパンを作っています(おおば製パン)
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