葛藤
最近春らしくなってきたので、部屋の暖房を調子に乗って切ったとたんに、寒さを感じているぼくです。やはり北海道の3月を甘くみてはいけないと痛感しているところであります。さて、人との縁は妙なもので、この間、新しくけん玉を通して仲良くさせていただいた方が、前の職場でお世話になった先輩の知り合いであることが分かり、その先輩にすてきな写真を送ったら3年ぶりに電話が来て、久しぶりの会話を楽しんだのですが、本当に世の中は狭い。ここ最近は、まだまだいろいろなことがありましたが、本題へ。
葛藤
この言葉は、葛(かずら)や藤(ふじ)など、つる草が絡み合うという意味の漢字が使われていることから、「心の中での相反する思いのどちらをとるのか」というような意味で使われます。
けん玉における葛藤とは何なのか。
ぼくの中では、二つの葛藤があるのです。まずは、
向上心とあきらめの葛藤
この葛藤については、自分の問題です。自分自身、どこまでストイックに自分の技に磨きをかけることができるのか。「こんくらいで、いいかな?」と思った瞬間に、成長が止まるような気がします。正直、今現在けん玉を初めて以来、最も大きな壁にぶちあたっています。ここからどこまで高められるか…努力次第です。もう一つは、
教えたい気持ちと教えずに待つ葛藤
やはりやるからには、上手になってほしいし、もっともっとけん玉を好きになってもらいたいのですが、すべてを「教えること」は時として、成長を妨げることにも繋がります。そこの見極めが指導者としてどこまでできているか、正直疑問です。以前も書きましたが、
成功体験と失敗体験の絶妙なバランス
をちゃんと意識していなければ、気付いたときにはただの
自己満足
になりかねないのです。そこをしっかりと理解できる指導者であり、自分の欲求を満たすためのけん玉ではないことを理解できる指導者であれたらと願います。
日々、勉強。明日はぼくにとって、一つの節目になりそうです。やれることは全力で。今日はまじめなぼくなのでした。
2017年3月14日(火)ちょっと一息
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