追い込む
早起きは三文の得
ということわざがあるように、朝の時間を有効活用することは自分の気持ちをすっきりさせる効果があると実感しております。休みの日は決まって早起きをして、有意義に過ごす。これが定着している田舎暮らしのぼくです。
今日は、「追い込む」というテーマ。
小学校からサッカーを続けていますが、一番追い込んだのは高校時代かなと思います。今思っても、あれ以上辛い練習はなかったなと思います。その辛い練習があったからこそ、高校では努力をして、勝つ喜びを知ることができました。けん玉については、この「追い込み」が必要なのかどうかというのが今回のテーマです。
けん玉は遊び
なのですが、今まで述べてきた通り、遊びを通り越した深みがあります。時には、自分を追い込むことが必要なときもあります。でもそれは、ぼくが高校生のころに経験した
第3者に促された追い込みでは意味がない
のだと思うわけなのです。けん玉で追い込む場合は、
自分で決めた目標に向かって追い込む
ことが大切です。では、その目標設定はどのように生まれるのか。もちろん一人でも目標を立てることができますが、目標を立てる時に手っ取り早いのは、
仲間の存在
だと思います。やはり、けん玉という遊びを通して、人が成長していく過程の中には、仲間つまりは、コミュニティの場が必要なんだと思います。
箱ではなく場
なのです。最近、まわりの仲間に触発されて自分を「追い込んでいる」最中です。もなかではありません。自分を常に高めていけるよう、日々生きていたいものです。
2018年4月7日(土)グアテマラのけん玉をもらいました
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