定義を考える思考法
最近妙にひっかかっているのが
言葉の定義を曖昧にしていないか?
ということです。これは本当に大きな課題であり、恐怖でもあるのですが、いかに中身のないことばかりをやってごまかしてきたかを痛感しています。例えば
自然と環境の違い
保護と保全の違い
体験と経験の違い
いろいろな言葉の定義があるはずなのですが、適当なニュアンスで伝えていたなーという感覚になっているのです。これは
「辞書にのっている」
ではすまされないと思います。しっかりと自分の考えを明確にしていくためにも
個人的な言葉の定義をしないといけないなと痛感しているぼくです。
さて、このブログもなんだんかんだ続いています。かなり気まぐれですが、いい感じです。以前書いたのですが、
何かを書くことは思考を整理すること
という記事を書いたような記憶があります。まさにその通りで、今もこうして自分の思考を整理しています。ブログを見返すと意外に定義をしっかり具体的に落として書いているような気もします。
けん玉は
没頭できる
夢中になれる
遊び込める
なんて表現をすることが多いですが、そもそもそれってどういうこと?と定義を考えてみました。ぼくなりの定義は
抜け出せなくなる
というような感じです。そんなけん玉をこれからも愛していこうかなと思います。
2019年3月23日(土)大好きなパン屋さん
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