Teaching without teaching
家の近くにできたカレー屋さんで久しぶりに外食をしたぼくです。ネパールのビールを飲んだのですが、その名前がリアルゴールドという名前で、度肝を吹かれたぼくであります。
さて、今日は
Teaching without teaching
教えずにして教える
という言葉についてです。この言葉は、今年の春に出会ったのですが、今では自分の心に常にある言葉の一つになりました。普通に意味を汲み取れば、よくわからないですよね?
教えないで教えるなんて
と思う方もいると思いますが、それが教育の根本なのではないかと思うのです。
けん玉を指導するときに意識するのは、
無理矢理やらせない
自己満足で終わらない
ということなのですが、ここにその真意があります。何かを学ぶとき、人から言われてやるのではなく、自分から学ぶもののほうが楽しさ、達成感、充実感などすべてにおいて効果的だと思っています。中国の古いことわざで、
聞いたことは忘れる、見たことは覚える、やったことは分かる
なんて言葉がありますが、まさにそこが醤油なのです…みそなのです。ここに
体験することの重要性
があると思います。まずは、やってみる。そこが大切なのです。そこで、「やってみよう!」と言って始めるのは簡単ですが、「やりたい!」と言わせるのは難しい。そう、同じようで同じじゃない。どんなことをやるにしても
いかに自発的な活動にもっていけるか
それこそが、ぼくの永遠のゼロ。そう永遠のテーマなのです。
今日も論じたぼくは、サンタさんから届いた4本のけん玉を今日も見つめているのです。今日もすてきな1日に感謝。
2016年12月10日(土)言葉の出会い、ドラムサークル研修
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