あらゆる機会、あらゆる場所を利用して
社会教育法の中にこんな記述があります。
(国及び地方公共団体の任務)第三条 国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設の設置及び運営、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない。
そう、珍しくしっかりもののぼくです。
そもそも「社会教育」という言葉自体、みなさんにはあまり馴染みのない言葉だと思います。
すごーくざっくりいうと
学校教育以外の教育
(本当はもっと詳しいんですよぼくも?だけど、ほら、ね?そうでしょ?)
その定義の中に
あらゆる機会、あらゆる場所
という言葉が出てくるのです。それを聞いてはぼくは、
けん玉やん
と思ったのです。
はい。ぼくです。
なにを言いたいかというと、けん玉をやっている人の中で、
「いやーこれは社会教育の一環としてやっています」
という人はあまりいませんが、
結果としてそうなってしまう
というものは世の中にたくさんあるのだと思います。それって素敵ですよね?
楽しいことが気づいたらよい結果になるなんて夢のようです。
はい、この目的でやりますよー
というのは、やる側だけが知っていればいい情報です。これを押し付けるから変に強制に感じる。
そんな教育は嫌なんだ。
そんなことを思い、けん玉って改めてすごいなと思う、今日この頃のぼくなのでした。

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