遊びは緊張するもの
遊びってどこかでまじめの反対で
適当に、気楽に、のんびりとやるものだって思ってませんか?
もちろん、そういうときもあるけど、その遊びはきっとうまくいこうが失敗しようがどうでもいいものだと思います。
なにも考えずに時間を過ごす場合はこういうのもありですが、
基本的に「遊びは緊張するもの」であるべきだと思います。
その緊張とは、
まだはっきりわからないことへの期待
成り行きの不確かさ
から生まれます。そうです、ゴールがわかっているものに緊張はうまれません。
例で言うとジグソーパズル。
遊びとして否定しているのではなく、パズルは必ず完成します。なので、緊張感で言うとそこまで高くないかもしれません。どちらかというと、完成したパズルを壊さないように額にいれる作業の方が緊張感はありますね。
木登りは緊張感だらけです。
折れるかな?ぼくの体重を支えられるかな?登ったとしても降りられるかな?
とか、いろんな不安が、好奇心をくすぐります。
すいません、話が横にそれました・・・
まーなにが言いたいかというと、
遊びは大人が思っている言う上に緊張感に溢れていると言うことです。
その緊張感を奪ってはいけないのです。
緊張感こそが遊びであって、緊張感をクリアした解放感こそが重要なのです。
だから、命に関わるようなことではない限り口出しはしない。
それがなかなか
できねぇんだな
れつを
ドーナッツっておいしいよね
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