【形あるもの】
世の中の評価軸が形あるものだけになってきていないか
非常に最近、危惧しているテーマです
目に見えるものこそわかりやすくその人となりを評価するには手っと早いのは間違いないです
例えば
けん玉がすごく上手い人
けん玉が苦手な人
もちろんこれは、
「けん玉ができるかどうか」
という評価軸を持った場合、
けん玉がすごく上手い人
に軍配があがりますよね。
でも、
けん玉を教えること
けん玉を楽しんでいるかどうか
など、評価軸を変えた瞬間に
評価は一気にひっくり返ります。
そんなことって世の中にたくさんあるはずなのに
どこかで一つのもので判断しようとしていないかなと最近よく思います。
いろんな軸でいろんな見方をされないと人間わからない。
人はいろんな出会いで変わっていくものです。
だから極論
最初から人を判断することはそもそも無理。
つまりは、
面接はあまり機能的じゃないような気がするなと思ったのです。
大切なのは、一緒に前をむいて喜びも苦労も一緒に時間を共有することなのではないか
けん玉クラブでもそのくらい深いところまで、共有していきたい
そんなぼくなのでした。

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