弱さの中にこそ多様性がある
最近衝撃を受けたなこの言葉に。
トルストイさんが言ったようです。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」
本を読んでてなるほどなと思ってしまった自分がいるのです。
幸せな家庭と言われて思い描く姿はもしかするとみんな似たようなものをイメージするだろうなと。
それが本当に幸せなのかどうかは別にして、
みんな幸せだろうなと思う家庭の姿はきっと似ている
でも
不幸な家庭ってどんな家庭ですか?
という問いについては、きっと結構意見がばらつくだろうなと思うのです。
そもそも、不幸な家庭ってなんだろう?というところは、人によってもちろん違いますけどね。
ここで言いたいのは
幸せか不幸せか
ということではなく、
本当の多様性というものは、弱さの中にこそあるのではないかということなのです。
多様なものを知るためには、いろいろなところにある弱い部分にこそ
目を向けるべきなのだと思います。
個人的には、
強い、弱い
幸せ、不幸せ
みたいな言葉を使うのは好きじゃないけど、
妙に納得できたなと思ったので、思考整理のために文章に落としてみました。
けん玉も強みと弱みを生かしあって、
みんなが共に成長していくような場になればいいな。
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